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体の不調が続くこの頃だが、何とか山への情熱だけは消えることがない。

所属会先輩のH師とともに中央カンテに行ってきた。

前日は一ノ倉出合付近まで偵察に出かける。 スノーシューを履いて行ったが、つぼ足でも埋まらない程度の雪だ。
この数日の暖気でかなり雪がしまったらしい。

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大氷柱の張り具合では、そちらを登ろうという目論見だった。 だがあいにく下半部に氷がない。上半部は立派な氷瀑が垂れ落ちているのだが。


行き先は即決まった。中央カンテ。

19時ごろに寝る支度をし、翌朝1時に起きた。2時20分に出発。 出合に着いたのが3時半頃。まだ真っ暗で目の前の衝立岩さえも空との区別が全くつかない。


ずいぶん低い所に星が見えるものだと思っていたら、テールリッジか烏帽子奥壁にいるクライマーのライトであった。

テールリッジ末端にスノーシューとストックをデポする。 

ダウンジャケットも荷物になるから置いていくことにした。


目標は1日で降りてくる事。 それができない場合に備えて、ツェルト・ガスストーブ・ガス缶のみを持っていく。


トレースが衝立スラブについていた為、テールリッジ末端からは上がらず、衝立スラブを行く。

テールリッジ中間部でリッジ上に上がるが、一つ目の雪のクラックをまたがなければならない。

僕が渡った直後、すぐそばで雪塊が斜面から切り離され、ずれ動いた。


テールリッジに上がってからも、二つ目の雪のクラックを越えなければならなかった。


その後もトレースを追い、5時前には中央カンテ取り付きに着いた。 日の出まではまだまだ時間がある。

あかるくなるまで待とうか悩んだが、時間を無駄にはできないので、登り始める事にする。5時40分1ピッチ目僕がリード開始。


岩のトラバースから、ベルグラと草付の斜面へ。 1P目終了点に着くころには空が明るくなってきた。
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H師がフォローしてくる。
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2P目はH師がリードする。以降交互にリードを交代する。

終始薄い氷の張りつめたスラブを左斜上する。 確か残置ピトン1個と短いアイススクリュー1本の他はプロテクションを取れなかった。CIMG0082


この頃には完全に夜が明け、岩壁が僕らを包む。 初めて一ノ倉沢に見えた11年前は、その威圧感にただ押しつぶされそうになったが、今日はその時より少し岩壁が小さく見える。 自分なりに少しは大きくなったのか、という思いに謙虚さを忘れるなと、釘をさしておく。


3P目は雪のランペ(緩傾斜帯)を左上するところから始まる。 雪が多く載っていたので楽勝かと思って臨んだが、足掛かりも手掛かりも決まらず、意外に難儀する。


隣の正面ルンゼからは別パーティの声が聞こえてくる。彼らの邂逅とその後待ち受ける出来事には、この時は全く気付きもしなかった。


ランペを上がってカンテの上を行く。傾斜は無いのだがプロテクションがほとんど取れない。10m以上ランナウトする所が数か所。 ワートホッグが2本あってよかった。草付にばっちり効いてくれた。


3~4Pを60mロープでつなげて登る。 あれほどいい夜明け空だったのに、いつのまにか雲に覆われる。

ランナウトに堪える。このピッチはその言葉に尽きる登攀だった。 右足をここに置いて立ち上がったらあのホールドを掴んで、右足のホールドを左足に置き換える… こうして何手も先を読んで進まなければならない。一挙手一投足にミスを差し込ませてはならない。

右手はアックスを持ち、左手は素手で岩を掴んで登った。

60mロープいっぱいで4P目終了点に到着。 大きなため息が出た。

時計を見ると1時間近くが経っていた。 「時間をかけすぎた、もう少し判断を早めなければ」そう自分に言い聞かせる。


カンテを左の雪壁から回り込む所から僕らの4Pが始まる。

このピッチからフォロアーはユマーリングして時間短縮を図ることにする。


H師からつながるロープがある時点から動かなくなった。ちょうど60mロープの半分を示す印の辺りだ。
それから1時間近くが経った。かなり難しい所を登っているんだろう、「頑張って下さい!」そう心の中で掛け声をかける。

寒くて日が射すのを願っていたが、ついに日が射すことはなかった。


4~5PをリンクさせてH師が「ビレイ解除」の掛け声をかけてきた時は、1時間40分の死闘の後だった。ユマールとタイブロックをセットして、僕がフォローする。


途中で正面ルンゼを登っているパーティの1人が、僕に声をかけてきた。

「仲間が落ちちゃって、手を貸してもらえませんか」

そう声をかけてきた男性は、よく顔をみるとクライミングジムでよくお見かけする方だった。


「このピッチを上がったら、そちらに降りて合流します」そう言い残して、僕はユマーリングを続けた。


あとで上のH師に訊かれて困ったが、要救助者がどのような状況なのか全く僕は訊いていなかった。しまった。状況によっては一刻を争う事にもなるし、もしくはその反対の可能性もあった。 僕はあまりにも自分の登攀に専念しすぎて、横で起こった事への関心が薄れていたようだ。 とてつもなく反省。


H師と相談する。 核心を越え、完登目前だった僕ら。悔しい。登り続けたい。それが本音だが、窮地に陥ったクライマーを見捨てるクライマーはクライマーではない。

僕らは正面ルンゼのビレイポイントまで移動して、そこから懸垂下降を開始した。


僕が必死にのろのろとユマーリングしていた時間に、要救助のパーティはかなり降りてしまっていたようだ。

懸垂下降を続けて行っても彼らの姿が見えない。 何度も大声で名前を呼び、応答を待ったが何も聞こえない。


正面ルンゼを降りながらこのルートを観察したが、恐ろしいルートだ。氷はグズグズで、プロテクションが取れそうな所はほとんどない。 プロテクションどころかホールドも崩れてしまいそうな危ういルンゼ。


4回の懸垂下降で正面ルンゼの取り付きに達した僕は、烏帽子奥壁の縁を移動中の彼らを見つけた。天気が悪く、何人いるのかよく分からない。


H師にビレイしてもらい、急な雪の斜面を下降して、さらに1ピッチ懸垂下降し、衝立中央稜基部で彼らにようやく追いついた。


要救助者が、名前を名乗り、「本当に申し訳ありません」と、本当に申し訳なさそうに言った。

彼の顔を見ると、何と知り合いではないか! 「あっ、○○さん!!」

「山田君、すまない」そう言って、彼は苦しそうにしながら握手してくれた。

彼には妻子がいる。生きていてよかった!


胸のあたりと足とお尻を中心に全身がとても痛いと言う。「どの体勢が楽なのかわからない」という彼は、本当に苦しそうだった。 


横で彼のパートナーが警察と連絡を取っていた。


ヘリを飛ばすか警備隊員が下から駆け付けるか検討中との事だった。


それからしばらく警察からの電話を待ったが何も来ないので、いつでもヘリによるピックアップができるように、
要救助者をテールリッジの中間まで降ろすことにした。


ロープを2本つないでロワーダウンしながら、彼が四つん這いで下っていく様はまさに拷問だった。


彼が80mほど降りた頃、谷間の向うからヘリの音が聞こえた。


ヘリは一度一ノ倉に入り、旋回して視界から消えた。 次の一幕でピックアップしてくれる事を祈る。


今一度ヘリが一ノ倉に入って来た。
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カモン、カモン!

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本谷上部で180度頭をまわし、一ノ倉にテールを向けたまま、後ろ向きにヘリが上昇してきた。そして再び180度旋回。


数分の後テールリッジ上にホバリングしたヘリから、警備隊員が下降した。


警備隊員がテールリッジに着地できるまで数十秒かかる。近頃はヘリの事故が多い。手に汗をかいた。

やっと警備隊員がテールリッジに着地する。


そして数分で要救助者と警備隊員がヘリに引き上げられ、ヘリは瞬く間に谷を去って行った。


谷に静けさが戻る。


要救助者を介助して降りていたパートナーの方が僕たちの所まで登り返してきた。
荷物をたたんで三人でアンザイレンして、テールリッジを降りた。


彼が生きていて本当によかった。あとは早期回復を祈るのみ。


ロープウェイの駅到着19時頃。

水上駅までH師に送ってもらい、21:10の電車に乗る。



東京の自宅に着いた時は、起床から24時間が経っていた。